活動報告
秋期リトリート・教師研修会を開催しました

2026年10月11日(日)・12日(月・休)、河野勇一先生を講師にお招きして、秋期リトリート・教師研修会「聖書フェア’26秋」を開きました。テーマは「神の義を生きる」。二日間で礼拝説教・講義・オープンリトリートの四つの集いがあり、参加者一同、御言葉にじっくりと耳を傾けました。会場は高知一粒の麦キリスト教会(横浜教室)でした。
河野先生は、日本バプテスト教会連合・緑キリスト教会の隠退牧師です。
プログラム
- 10月11日(日)10:30
- 主日礼拝(説教)「本当の自由へ招く神」ルカによる福音書 15章11–32節
- 10月11日(日)13:30–15:00
- 講義① キリストの「信実」に基づく神の「義」ローマの信徒への手紙 3章21–26節
- 10月11日(日)15:30–17:00
- オープンリトリート「出エジプト記」
- 10月12日(月・休)9:30–11:30
- 講義② 山上の説教に見る「神の義のライフスタイル」マタイによる福音書 5–7章
主日礼拝:本当の自由へ招く神
「放蕩息子のたとえ」から語られました。父を離れて「自由」を手にしたはずの弟息子は、お金が尽きるとともにその自由も失います。帰郷を決めたときも、彼は「雇人の一人にしてもらおう」と考えていたにすぎませんでした。
しかし父は、まだ遠くにいる息子を見つけて走り寄り、抱きしめます。河野先生はこれを「存在ごとの赦し」と呼び、神に引き寄せられて神の子とされたところから、本当の自由な生活が始まると語られました。
講義①:キリストの「信実」に基づく神の「義」
聖書の「義」は、もともと「義しい関係にあること」を表す言葉であり、「義とする」とは、神から離れた人を、神がご自分の方から犠牲を払って本来の関係に引き戻すことだと学びました。
法廷のたとえよりも、被害者だけが赦せる「和解」のイメージで十字架と復活を捉えるお話は、深く心に残りました。
オープンリトリート:出エジプト記
出エジプト記は「3つのまとまり」に分けて読むということについて、教えていただきました。
最初は、「自分は何者か」と悩むモーセが、燃え尽きない柴で神さまと出会い、使命を受けて立ち上がる場面(1〜3章)。次に、過越や葦の海の奇跡を通して主が民を救い出し、荒れ野で共に歩んでくださる場面(3〜18章)。そして最後が、シナイ山での十戒と契約の場面(19〜40章)です。
十戒が「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という言葉から始まっていることから、律法は重荷ではなく、救われた者が神さまの恵みに応えて生きるための励ましであると学びました。
これらのことから、出エジプト記はただの「脱出物語」ではなく、神さまが民をもう一度使命へと呼び戻す物語であるという読み方を教わりました。
講義②:山上の説教に見る「神の義のライフスタイル」
山上の説教(マタイ5〜7章)を、神に義とされた者の生き方として読みました。「完全な者となりなさい」(5:48)は、努力を強いる命令ではなく、「神がそうしてくださる」という約束に支えられた励ましだと語られました。
中心に語られたのは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(6:33)です。これは「神を第一にしなさい」という優先順位の教えではない、と河野先生は語ります。野の花や空の鳥を養う神の恵みが、この御言葉の文脈です。
「求める」は「探す」と同じ言葉で、復活の主を「捜す」場面にも使われています。すでに与えられた神の恵みの支配と、回復された神との義しい関係を、いつも捜し求め続ける。日々の恵みを見つけて感謝し、その関係をより親密にしていく。それが「神の義を生きる」ことだと教えられました。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイによる福音書 6章33節(新共同訳)
河野先生、二日間にわたる豊かな御言葉のメッセージをありがとうございました。ご参加くださった皆さん、そして準備や運営などで支えてくださった皆さんに心から感謝します。ここで学んだ「神の義」の中で、日々の歩みを続けていきたいと願っています。
当日の様子




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